エリア紹介

浜松町

東京の成長を語るシンボルは、新しい進化へ

昭和45年、浜松町に誕生した世界貿易センタービルは、高度経済成長期に飛躍する東京のひとつのシンボルでした。

それから今日まで、東京の陸・海・空の主要拠点として機能してきた浜松町は、成熟したビジネスエリアへと発展を遂げました。

JR、モノレール、地下鉄が乗り入れる駅が整備され、バスターミナルからは、臨海副都心へもスムーズにアクセスできます。

さらに近くの竹芝桟橋からは水上バスも運航。

この上ない立地条件にある世界貿易センタービルは、時代のニーズに呼応しながら、さらなる進化を続けようとしています。

エリアの可能性

世界のボーダーレス化が進展し、国際交流・ビジネス活動が活発になる中、浜松町エリアは臨海副都心開発の中核地域として、さらなる再開発の計画が進行。

汐留、台場、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンなど、注目を集める大規模開発地区が至近のこの地は、一方で公園や緑地などの自然とも共存。インテリジェントビルが立ち並ぶビジネス街となった今も、昭和初期以前の建物が残り、歴史の面影を偲ばせます。

古きよき東京の魅力を息づかせながら、ビジネスとアメニティの新しいトレンドが融合。つねに変化を続ける、今後一層の発展が期待されるエリアです。

浜松町ヒストリー

増上寺の門前町として、文明開化発祥の地として

もともとは小さな漁村であった浜松町が街として形成されていったのは、慶長3年(1598年)の増上寺来転以後のこと。

「浜松町」の名は、元禄9年(1696年)に遠州"浜松"出身の権兵衛が名主となったことから生まれました。

明治時代には、いわゆる文明開化の発祥の地として知られ、ガス燈のガスの供給、電話やラジオもこの辺りから始まりました。関東大震災後は東京湾築港の拠点となり、終戦後も一面焼け野原と化した浜松町駅周辺にただひとつ残されていた都電車庫が、復興に伴って賑わいを見せていました。とはいえ、浜松町周辺の町並みは、概して小規模な事業者や生産材料商店が多く、飛躍的な発展を遂げるほどの要素には欠けていました。

“高度経済成長”という時代の要請のもと、世界貿易センタービルが誕生

昭和30年代、高度経済成長期に入ると貿易量が急激に増大し、国際交流・ビジネス活動が活発化。このような時代の潮流を背景として、都心における交通の要衝地に"国際貿易に関する総合センター"建設の必要性が叫ばれ、その建設用地として浜松町駅前の都電車庫跡に白羽の矢が立ちました。浜松町エリアでは、昭和6年に開港した羽田空港と浜松町間を結ぶモノレールの建設計画・東京湾拡充計画・湾岸道路建設計画・都営浅草線の工事進行などのプロジェクトも進行。都市開発を推進するための絶好の条件を備えていたのです。

こうした時代背景の中、日本・東京商工会議所を推進母体として、財界、諸官庁、金融機関、テナント、建設工事関係各社の協力を得て、"交通センターとしての機能を併せもつ世界貿易センタービル"の建設計画が進められました。昭和39年12月、(株)世界貿易センタービルディング(旧社名(株)東京ターミナル)設立。そして、昭和45年3月、高さにおいて当時東洋一(152m)の超高層ビル、「世界貿易センタービル(略称WTCビル)」が着工以来、2年8カ月の歳月を費やして竣工しました。以来、WTCビルは東京における陸・海・空を結ぶ交通の要に位置し、多様なサービス機能を有する複合ビルとして、国際取引や国際交流の場としても広く利用されています。

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