エリア紹介

大崎

注目の再開発地区は、未来を思考する

近年めざましい早さで発展する、大崎。

この街に「新しい考えが芽吹き、そして成長していく場を創出する」という開発コンセプトのもと、ビジネスコンプレックスThinkParkを誕生させました。

地上30階、地下2階のThinkPark Towerを中心に、ショップ&レストランが連なるThinkPark Plaza、屋外多目的スペースのThinkPark Arena、メディカルセンターなどを備え、多様なライフスタイルに応える東京の新しいコミュニティとして注目を集めています。

これらは、JR大崎駅前に広がるThinkPark Forest(森)の中に有機的に配置され、テクノロジーと緑が調和した、持続的に成長を続ける新しい街づくりの提案でもあります。

エリアの可能性

大崎は、りんかい線やJRの乗り入れによるターミナル化で、ポテンシャルが急上昇。多くの企業の研究所が集積するR&D拠点へと発展しています。

「大崎ニューシティ」にはじまり「ゲートシティ大崎」、「アートビレッジ大崎」、そして「ThinkPark Tower」と、近年の再開発などによる街の将来性、新幹線と羽田空港の玄関口、品川駅へのアクセスのよさなどから、東京都により「7つの副都心」のひとつに指定されています。

閑静な住宅地でありながら繁華街も隣り合わせる立地特性は、多様な生活スタイルにフィットする街として、今後さらに住みやすく、働きやすいエリアへと変化していくことが予想されます。

大崎ヒストリー

農村から工場街へ

縄文時代の土器や住居跡などが発掘されている大崎ですが、江戸時代は周辺のほとんどが徳川幕府の直轄地(天領)であり、人家も少なく、寺社や大名の下屋敷が点在する静かな農村でした。また、この辺りで作られるゴボウは"居木橋のゴボウ"として有名でした。「大崎」の名の由来には諸説あり、正保年間(1640年代)になって記録に見られるようになりました。

大崎が大きな変貌を遂げるようになったのは、日露戦争後、明治の末から大正にかけての頃。この地は目黒川の水運に恵まれており、旧大崎貨物駅を製品・資材の輸送拠点とすることができたために開発が進行。目黒川に沿って化学・窯業・機械などの工場がいくつも建ち並ぶ一大工業地帯となりました。

再開発により情報発信拠点へ

昭和に入ってからも工場街のイメージが強く、山手線沿線としては比較的地味な存在であった大崎の街が大きな転機を迎えたのは、昭和57年(1982年)のこと。東京都により、"研究開発型産業を核として発展するまち"として7つの副都心のひとつに指定され、昭和62年(1987年)の「大崎ニューシティ」を皮切りに大崎駅東口から徐々に再開発が進行。

一方、西口では昭和60年(1985年)から、大正時代より歴史を刻んできた(株)明電舎が工場跡地再開発の検討を開始。幾度の開発計画の修正・変更を経て、平成14年(2002年)9月に東京都より「大崎駅西口地区再開発計画」として都市計画が決定され、平成16年(2004年)1月には東京都における「都市再生特別地区」の第1号として告示されました。その後、平成17年(2005年)1月、当社との間で基本協定書を締結し、再開発プロジェクトが本格的に始動したのです。

平成17年(2005年)2月、"Thinking & Growing"を開発コンセプトに着工した「ThinkPark Tower」は、平成19年(2007年)8月に西口再開発の第1号として竣工。周辺に居住環境が整備されている大崎は、近年の交通アクセスの向上と相まって、情報発信の拠点として、またコミュニティ創造の場として、東京城南地区を代表する新しい形のビジネス街へ変貌を遂げようとしています。

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